2009年12月17日木曜日

やっぱり寒い


 JR奈良駅と近鉄奈良駅の間ぐらいにある中華料理屋で、唐揚げ定食950円、スーパードライの中瓶550円、焼き餃子320円。残念ながら、大満足というほどではなかったので、店の名前はNG。
 ホテルへ戻る途中、奈良基督教会というところで「光のページェント」というのをやっていたので、立ち寄ってみました。入口で、チャリティとして100円を支払うと、キャンドルとホットコーヒーを手渡されます。キャンドルは構内のどこに供えてもOK。ホットコーヒーがとてもおいしかった。温まりました。
 2009年12月17日。

太陽の塔


 もう何年ぶりでしょうか。
 今回は裏側(どっちが表なのかは知りませんが)の表情をまじまじと観察してみました。だけど、じっと見られていたのは私のほうでした。
 2009年12月17日。

いい表情。


 理知的です。
 2009年12月16日。

よく寝ていますね。


 かわいい。
 2009年11月29日。

2009年12月14日月曜日

屋台街




 台南市の安平区にある妙壽宮に沿って屋台が並んでいました。安平古堡のすぐ近くです。寺院と屋台という、なんとも台湾的な取り合わせが好ましいですね。
 市政府のHPに紹介が出ています。乾隆20(1755)年の創建。主神は保生大帝。妙と壽という名の兄弟が王爺の乗った王船を拾い上げ、それを祀ったのが始まりなのだそうです。妙壽宮のすぐ目の前は安平港。ありそうな話です。
2009年09月04日。

 金曜日の晩とあって、賑わっていました。

ホウオウボク


 台南市の成功大學医院で見かけました。高鐡台南站から台南市内へ向かう連絡バスの中から撮影。

 台南市は鉄道を挟んで、東側はゆったりとして落ち着いた雰囲気、西側はにぎやかで都会的なムードです。西側を歩くのがほとんどですが、連絡バスでは東側をゆっくりとめぐることができました。ホウオウボクの赤い花はよりわけ目に付き、「石垣島と同じだ」と思いましたが、よくよく考えれば、台湾から石垣に持ち込まれたものなのでありました。

 2009年09月04日。

2009年台北聴障奥林匹克運動会03


桃園機場の到着ロビーを出ると、キャラクターのカエルたちが待っています。「定向越野」は「オリエンテーリング」、「田径」は「陸上」。中国語の勉強にもなりますね。オリエンテーリングは面白い訳し方だと思いました。2009年09月04日。

2009年台北聴障奥林匹克運動会02

 桃園機場行きのCI121便の機内サービスでは、ロゴをあしらった紙コップでサービス。
 2009年09月04日撮影。



2009年台北聴障奥林匹克運動会



 私が台湾へ行ったときは、たまたま、2009年台北聴障奥林匹克運動会(台北聴覚障がい者オリンピック)が開かれており、グッズや表示が目につきました。
 桃園機場ではやり投げ選手とボーリングをしているカエルがお出迎え。2009年09月04日。







東興洋行


 日差しが強い分、木の影が濃く出ます。

 東興洋行という貿易商の建物をそのまま使った安平外商貿易紀念館を訪問しました。台南市政府のHPでも紹介されています。蒸し暑い館内から外を見ると、こんな景色が広がっていたのです。2009年09月04日。

 安平は台南市の一部。

 清は、台湾を日本に割譲する前の1858年、ロシア、米国、英国、フランスと天津条約を結び、台湾の2か所で貿易を認めるわけですが、これに基づき、1882年に淡水、続いて1884年に安平を開港します。開港した港には、海外の貿易商会が建ち並ぶことになり、東興洋行はそのうちの1つというわけです。

 とても気持ちの良い空間で、写真の向こうには水辺も見えますね。水辺に沿って散歩するのも、もちろん悪くありません。

桃園空港の両替所


 桃園空港に到着したあと、いつも利用しているのがこの両替所です。この写真は2009年09月04日のものですが、行列になっていたので写真を撮る余裕がありました。
 私の経験では、人影がまばらなことが多く、写真を撮っている暇などなく、私自信が両替する番が回ってくるのです。
 この両替所は、入国カウンターのすぐ手前にあるので、大概の乗客はまずさきに入国審査のほうへ行こうとするのでしょうね。私の考えはちょっと別。入国カウンターにずらーっと人が並んでいるのを見ると、なんとなく、「先に両替してこー」っていうふうに考えるわけです。
 せっかちなのか、そうでないのか、よくわからない選択方法ではあります。

2009年12月13日日曜日

CI121


 有村産業のフェリーが運休になってしまってから、もっぱら中華航空にお世話になっています。CI121便なら、桃園にお昼に着けるので、便利。石垣をその日の最初の便で那覇へ来れば乗り継げるので、那覇で泊まるような面倒な事をしなくてもいいのです。


 しかし、個人的な好みから言わせてもらえば、石垣から基隆へ行ったり、一晩かけて高雄まで行ったりするフェリーの旅が素晴らしかった。復活しないかなぁ。石垣から台湾へ飛行機で気軽に直行できる日も近いかもしれませんね。その次はぜひ船を再び走らせてほしい。
 この写真は2009年09月04日。

2009年10月19日月曜日

2泊目。


光華観光商務飯店の2泊目。2009年09月06日の朝。2009年09月05日と比べると、かなり似ていますが、飽きの来ない味です。宣伝するわけではありませんが、リーズナブルだと思います。

お気に入り。


 臺南に泊まる時に利用するのは光華観光商務飯店。臺南火車站から徒歩2分といったところなので、とにかく便利。ここを拠点にすると、快適に行動できます。
 朝ご飯は洋食と中華のどちらかを選択できるのですが、私は常に中華。おかゆにいろんなものを載せて食べるのがたまりません。2009年09月05日の朝はこんな感じ。しっかり食べたっていう気分で出発できます。

那覇


 17日から18日にかけて、那覇へ行っていました。仕事なのか、そうでないのか、イマイチよく分からない集まりに出席。
 久しぶりに台湾人経営の宿に泊まったので、宿の人と語らったり、近くにある台湾出身者経営の食堂を訪ねたりしたかったのですが、そのような時間はなし。会合に出て、飲みに行ってということだけで、時間が過ぎていきました。
 ま、そんなもんかな。
 2009年10月18日朝の那覇空港。これから石垣へ戻る、っていうときに撮りました。

寝ている、わけではない。


 まだ子どものせいか、人の動きがひどく気になるみたい。眠たいくせに(眠たいから?)人の近くに寄ってきてみたりする。私の机はベランダのすぐ脇にあるのだけど、その机の上に座り、ゆっくりと目を閉じたところ。昼ご飯をもらって、眠たくなっているのだけど、だけど、眠れないご様子。首の下のふわふわ感が、可愛らしい。
 今は、ベランダで夜遊び中。部屋に飛び込んできた虫を与えたら、遊び続けている。ときどき、鳴き声を上げたりなんかして。
 2009年10月18日撮影。

2009年10月15日木曜日

サトウキビ


 これって、サトウキビの絞り汁を売っているわけですよね。石垣島で栽培されているのに比べると、太いです、とても。
 2009年09月04日、臺南市東区林森路一段を通過中のバスから撮影。

赤瓦屋根


 ふと外へ目をやると、赤瓦屋根の家が見えました。赤瓦屋根であれば、どれもきれいというわけではないのですが、この3棟は清潔感がありますね。見せ物ではなく、人が暮らしていることが分かる風情です。2009年10月15日。

2009年10月13日火曜日

蚵仔湯


 このたっぷり感がたまりません。スープはあっさり目。同じカキを使った蚵仔煎とよく合います。

 臺南の「安平古堡蚵仔煎」(台湾・台南市效忠街85號)で「蚵仔煎」(50元)とセットにして頼みました。同じく50元。2009年09月04日。

2009年10月12日月曜日

白帯魚2

 こんな風にも売っていた。ちゃんと洗って、加熱調理すれば、没問題。南方澳で撮影。2009年09月06日。
 こちらへ歩いてくるオレンジ色の服を着た人は、海岸巡防署(日本でいえば、海上保安庁)の人です。漁船が入るたびに、いろいろなことをチェックしているようです。

細長くって切れそう



 南方澳の第2漁市で魚が揚がっているのを見ていて、一番多く感じられたのが、この白帯魚。次々に売れていくところを見ると、庶民の味なのでしょう。「菜市場魚圖鑑」によれば、葱やショウガを入れて、米粉と一緒に煮ると旨いのだそうです。ひょっとしたら、知らぬ間に食べているのかもしれません。
 細長い形状をしたものが、大量に水揚げされるからでしょうか、束で掴むみたいにして、無造作に放ったりしているのが印象的でした。生活ですね。人々が暮らしています。いい感じです。
 2009年09月06日。

クロアジモドキ




 調べているうちに、この魚を別の場所でも見ていたことを思い出しました。台北市長安西路でのことです。このときは、魚の名前までこだわらなかったのですが、魚の街、南方澳でこだわってみた甲斐がありました。北京語では「黒{魚+昌}」。「{魚+昌}」は「マナガツオ」の意。

 日本では、刺身にすると美味という評判があるようですが、「菜市場魚圖鑑」には「清蒸、紅燒或油炸」とありました。蒸したり、しょう油煮込みにしたり、フライにしたりするのですね。クロアジモドキづくしというのも可能ですね。
 だけど、刺身を食べてみたいなぁ。台湾でも食べれるんだろうか。
 撮影は2009年09月06日。

Ichthyscopus_lebeck_lebeck


 失礼ながら、奇妙な表情がインパクトがありました。凶悪そうなのですが、眼は小さくて、やさしそうではあります。
 トレイに載せられて、市場の地面に無造作に置かれているのです。なんともあわれでした。買ってみようかという表情で品定めをしている人もいない。かがみ込むようにして私がカメラのレンズを向けなければ、見向きもされないような存在でした。
 タイトルはこの魚の学名です。北京語では「石頭斑」というのだそうです。撮影したのは2009年09月06日で、南方澳でのことですが、それ以来、名前が分からず、ずっと調べ続けていました。と、このときの旅行で台湾の誠品で買ってきた「菜市場魚圖鑑」をよくよく見れば、きちんと掲載されているではありませんか。Ichthyscopus_lebeck_lebeckさんには失礼なことをしてしまいました。料理方法の説明には「煮湯」と書かれているので、これはきっと、日本語的には煮魚に違いない。違うかな。
 日本語名は探しきれなかったのですが、サツオミシマというのが属レベルまで同じ種のようです。

2009年10月11日日曜日

竜眼


 八妹のデカ看板の下で果物を売っていました。
 龍眼。台湾語ではギィンギィンと呼ぶのだそうですね。買ったばかりの「台湾俳句歳時記」がとても参考になります。「多食すると逆上せるとして一旦塩水に漬ける母が多い」と書かれているあたり、なるほどなと思いました。おいしいですものね。
 数年前、麻豆へ行った時、現地の方からたくさんいただいたので、ホテルの部屋へ持ち帰り、大事に仕舞っておいたところ、翌朝すっかりアリにたかられてしまった苦い経験があります。すると、「台湾俳句歳時記」に曰く「甘きこと蟻をよび蜂をよぶ」。まったくもってその通り。
 2009年09月05日、台南県佳里鎮の中山新生路口。

消費券


 消費券とは1人3600元を配る台湾の景気浮揚策。
 「八妹」っていうのはなんでしょう?キャラクターのかわいらしさでつい撮ってしまいました。(R)と表示されているのだから、登録商標なのでしょうね。元気いっぱいにお遣いに走ってくれそうなお嬢ちゃんです。台湾では、日本では見かけないタッチのキャラがたくさんあって、町歩きの楽しさを倍増させてくれます。
 2009年09月05日、台南県佳里鎮中山新生路口。

新型インフルエンザ


 臺南市の西門国民小学(小学校)に新型インフルエンザ対策の表示板がありました。2009年09月04日。教室に入る時に体温測定をするのですね。石垣島で新型インフルエンザの話を聞いていると、「学校へ行く前に家庭で体温を測ってきましょう」ということになるのですが、こちらでは学校で測る。細かい事ですが、自宅から学校へ行くまでの間に発熱したとしても、校門できっちり把握できるということになりますね。対策の合理性は西門国民小学に軍配です。

三通


 三通を実感できる表示板です。桃園国際空港で「北京」の表示を見付けました。2009年09月04日。沖縄は依然として「琉球」です。

2009年10月7日水曜日

土地公祭のお供え


 悲しげな目をしているように見えますね。だけど、土地公様に差し上げるために用意された名誉あるお供えなのです。鳥肉と豚肉、それに魚という3種類が最も基本的なお供え。
 土地公祭にやってくる台湾出身の方たちのほとんどが、この3種類を用意し、さらにオプションとして果物やお菓子などを供えます。
 2009年10月04日。

パインのお菓子


 中華航空の那覇発台北行きCI121便で、機内食のデザートにパインのお菓子が出てきました。2009年09月04日。
 たった1時間のフライトだけど、国際線だという理由で、食事やら何からと用意してくれるのには感謝です。
 このお菓子は新東陽のものですが、石垣島の住人であれば、ひょっとすると、「八重山と同じように台湾でもパインをよく食べるんだね」ということになってしまうかもしれませんが、これは実は勘違い。
 八重山にとって、パインの本家は台湾だからです。八重山に移住した台湾出身の人たちがパインを八重山に定着させました。そのパインは戦後、宮古や沖縄本島から移民してきた人たちに活力を与える源にもなったのです。
 いまやすっかり八重山の特産になったパインですが、もともと台湾のもと。台湾と八重山の結び付きを思わずにはいられません。

ゴミ箱のネコ


 このバケツは普段はゴミ箱です。中に入るのがお好きのようです。本人はいたって真面目です。2009年08月31日。

土地公祭


 今年の土地公祭が行われました。2009年10月04日。
 石垣に住む台湾出身の人たちが毎年旧8月15日に合わせて名蔵御嶽で執り行っています。
 石垣島の人々の間では、ブタをまるごとお供えすることで知られており、今年は2頭が供えられていました。以前は、ブタの上にヤギ、ブタの下に魚や鳥の肉を供えていたものですが、ブタだけになって随分経ちます。それと入れ替わりというわけでもないでしょうが、観光客や台湾出身ではない八重山の人たちがぽつぽつと参観するようになり、それはそれでなかなか賑わいのある土地公祭となりました。
 このブタの首に掛けてあるのは、日本の5円玉をつなげて作ったネックレスのようなものです。口には柑橘類をくわえさせ、そこに線香を突き立ててあります。もちろん、線香の先端からは煙がすーっと上がっていました。

2009年10月2日金曜日

臺南市営バスの車内



 臺南市営バスの車内です。2009年09月04日。臺南火車站前から安平古堡へ向かう時、ちょうど子どもたちの下校時刻に重なったのです。

臺南市営バス


 ちなみに、臺南市営バスの風景とはこんな感じです。2009年09月04日。臺南火車站前のバス停。なかなかきれいです。
 バス停には電光掲示があることもあって、その場合は「次のバスが車であと何分」といった表示をしていました。バスの運航状況を知らせてくれる電話番号が表示されているところもありました。サービスは悪くないのではないかな。

普通のバスの切符


 バスの切符のこととか、大溪駅の硬券のこととか、盛んにアナログなことを書きましたが、じゃあ、アナログでないのはどんなのかというと、それはこの写真にあるような切符です。バスの切符はほとんどこのタイプと言っていいでしょう。乗車するとき、ワンマンの運転手さんが料金と引き替えに手渡してくれます。

 この切符は臺南市営バスに乗ったときのものです。2009年09月04日。「高雄客運」とあるのは、臺南市営バスの運行会社が高雄客運ということです。

皮刀魚


 「皮刀魚」と書いて「プエトォヒイ」と読むのだそうですね。台湾で庶民的な魚の1つなのだそうですが、私の持っている魚の図鑑にはなかった。なんでだろう。
 で、どのようにしてこの名を探し当てたかというと、今日借りた「台湾俳句歳時記」という本にカラー写真が載っていたので判明しました。「厚い頃」の季語に分類されていて、旬は初夏とのこと。日本名は「ギンカガミ」。そんな感じしますね。いびつな形もおもしろい。
 南方澳で見付けたお気に入りの魚だっただけに、名前が判明してすっきり。2009年09月06日。

2009年9月24日木曜日

バスの切符


 大溪駅の硬券と同じように、アナログで、グローバル化されていないものが、このバスの切符です。

 2009年09月05日。台南県麻豆鎮にある「一商前」というバス停から臺南へ戻るときのものです。74元。切符は、バス停前の雑貨店で扱っています。
 バスの切符は、列車に比べると、手でちぎり売りしたりしているところが珍しくなり、アナログな世界が残っているような気もします。それでも、バスの車内で切符を求めると、ぺらぺらの紙に印刷された味気ない切符がぺろりと出てくるのが主流でしょうか。
 それにしても、この切符。刷ってある活字といい、てんでに押されたスタンプといい、手作りな風情がいいですね。

硬券

 大溪駅で臺北までの切符を求めると、硬券が出てきました。2009年09月07日。

 台湾では何度も列車に乗っていますが、硬券にお目に掛かったのは初めてです。列車のことはもともと興味がありますが、なんともアナログなところに好感を覚えます。グローバル化されていない世界がここにもあったのかという感じです。


 大溪発1245、臺北着1418。104元。またしても、区間車です。列車には、魚かなにかを入れていたであろう籠を持った人たちが乗っていたりして、海沿いのローカル線らしい光景にも出会いました。

大溪駅

 山深い感じが、気持ちよかったです。2009年09月07日。

区間車

 大溪へは列車を利用したわけですが、蘇澳から各駅停車に乗りました。台湾風に表現すると「区間車」ですね。2009年9月7日のことですが、蘇澳発1024、大溪着1129着。72元。1時間という所要時間が長いか短いかはなんとも言えないところですが、北東部の海をゆっくり眺めているうちに、すぐ着いてしまったというのが私の記憶です。


 宜蘭県といえば、雪山トンネルが開通して以来、臺北から行くならもっぱらバスという印象になりました。海岸線を大回りしていく列車は、速いとは言いがたいスピードで走り、比べてみると、バスのほうが速いという印象があります。


 しかも、蘇澳の駅は、幹線からちょっとだけはみ出したような構造で、臺北と花蓮や台東を結ぶ列車は立ち寄りません。こうした列車に乗るには、1つ手前の蘇澳新駅へ出なければならないのです。だからだと思うのですが、蘇澳へ来る列車、とりわけ、自強號などの速い列車が減っているような気がします。


 こういう不便さは住んでいる人には困ったことでしょう。旅行者である私は、楽しかったとか、景色がきれいだったとかそういうことによって、不便さを快適さに変換できるわけですが、生活者ではない者だからこそできる「変換」だといえます。


 八重山へ来る観光客も同じようなことを考えているのかな。

自転車屋


 石垣島は今日も良い天気。2009年09月24日。
 よく世話になっている自転車屋に寄りました。近くの床屋へ行ったついでです。圧搾空気でプシュッと簡単に空気を入れさせてもらえるお店です。もちろん、それだけでなく、アフターケアもばっちりです。いつも頼りにしている自転車屋さん。
 圧搾空気でプシュッと、というのは、店先でだれでも自由に、店主がいないときでさえ自由にさせてもらえるようになっていたので、今日も「空気、入れさせてもらいます」と一言告げて、入れさせてもらおうとしたところ、「壊されたから、外には出してない」と店主さん。バルブの部分が壊される“事件”があり、ここ1週間ほど、圧搾空気の道具を店内に置いているとのこと。金属製のバルブが折れるほどの力がかかったということは、どうやら、車に踏まれたらしいとのこと。
 なんとも、悲しいできごと。
 でも、店主のアフターケアは今日もこれまでと変わることはなく、私は1円も払うことはないのに、タイヤをつかんで空気圧を確かめたり、自転車のあちこちに油を差したりといったサービスをしてくださいました。
 ありがたいことです。

2009年9月23日水曜日

亀山2



 大溪漁港まで残りわずかというところで撮影した住所の表示板。このイラストはきっと亀山を表しているのでしょうね。亀山は陸地の東側に浮かんでいるので、日の出も望めるのでしょう。実際の景色はどんなものなのでしょうか。見てみたいものです。2009年09月07日。

亀山



 大溪駅から大溪漁港までは、歩けば10分か15分ぐらい。省道2号線を行けば間違いはありませんが、車の往来が激しくて、歩くのに快適とはいえません。一歩海側に寄ると、海岸線に沿って進むことができ、ここは快適です。


 平べったい船が漁をしていました。後方は亀山です。2009年09月07日。


 気持ちのいい天気でしたが、大溪に11時半ごろに到着したあと、再び、12時45分の列車に乗るというスケジュールだったので、そうそうゆっくりもしていられなかったのです。次回はもっと余裕をもって来たいものです。

大溪港




 大溪漁港です。2009年09月07日。港の防波堤には「大溪老港」と書かれているので、現在はメインからサブの役割に移った部分なのかもしれません。遠くにかすんで見えるのは亀山です。
 大溪漁港を訪れたのは蚵仔煎を食べるためではなく、別の理由があります。それは、大溪漁港がの南方澳漁港(宜蘭県蘇澳鎮)と関連していることが分かったためで、せっかくだから足を運んでみたいと思ったというわけです。

 1932(昭和7)年に作成された「台北州協議会通常会諮問案」という資料では、大溪漁港の必要性を3点挙げており、そのうちの1つに「蘇澳及基隆漁港の避難、寄港地としての漁港の必要」とあります。この時期、すでに南方澳漁港は完成していましたが、この「諮問案」が出されるまでの間にどのような漁業被害が起こっていたのか興味深いところです。
 一方、台湾で発行されている『台灣漁港圖鑑』(李嘉亮著,2005年)によれば、大溪に港があることは1928(昭和3)年発行の『台灣の港灣』ですでに取り上げられているそうです。
 大溪漁港が現在の形になるまで、どのような変遷をたどってきたのかさらに調べてみる必要がありそうです。

2009年9月22日火曜日

蚵仔煎2




 せっかく名前を覚えたので、宜蘭県頭城鎮の大溪漁港を訪れたときにも、蚵仔煎を頼んでみました。2009年09月07日。こちらは40元。臺南の安平古堡蚵仔煎より10元安かったけど、この差は何かな。安平古堡蚵仔煎では、器全体をビニールで覆ってから、そのうえに料理を載せる方法で衛生管理をしていたけど、その差かな。量と味は、甲乙付け難しでした。
 大溪漁港は、省道2號から坂を下るようにしていくのですが、この坂道は海産物を売ったり、小吃を食べさせたり店が並んでいて、私はその1つで軽く昼食をすることにしたというわけ。店の名前はよく分からなかったけど、PR用の横断幕には「宜蘭伝統小吃」とあって、食べ物の名が3つ挙げられており、そこには「蚵仔煎」の文字もありました。

蚵仔煎







 台湾ではカキが庶民の味だということを今回、初めて知りました。しかも、その食べ方は「蚵仔煎」という卵とじ風の料理が主流なんだそうですね。


 私の場合は、カキといえば、やはり、カキフライでしょうか。殻の上に乗ったカキに酢を掛け、殻に口を付けて飲み込むように食べるのももちろんおいしいです。6月に広島で食べてきましたが、これはかなり久々でした。


 写真の蚵仔煎は「安平古堡蚵仔煎」(台湾・台南市效忠街85號)で。50元でした。2009年09月04日。食べ進むうちに、表面のかりっとしたところと、とろりとしたカキがうまく混ざり合って、飽きの来ない歯ごたえでした。飾り気のない食べ物です。

 お店は、安平天后宮に隣接しています。ただ、安平天后宮が面している安平路という大通りから、天后宮に沿うようにして、少し奥へ入ったところにあるので、その点は若干分かりにくい。店にたどり着くまでに、蚵仔煎を食べさせる別の店があったしもするので、間違えそう。しかし、そういうところも、蚵仔煎 がいかに人々の舌になじんでいるかと感じさせます。食べ比べも楽しそうです。

2009年8月30日日曜日



 台北市の長安西路は台北駅のすぐ北側。首都の中心部で、人がちゃんと暮らしていることを実感できるのですね。都市が拡張しているというより、人々が寄り集まっているというイメージ。餃子も買えば、魚も買う。台所にそのままつながっていく風情が好ましく思えます。2005年11月13日。

2009年8月27日木曜日

餃子


 トウモロコシにニラ、キャベツ。ただギョウザと聞いただけで、口の中につばがいっぱい溜まってしまいますが、このバラエティを前にすると、食望がさらに高まります。
 パック入りのを自宅へ買って帰り、調理して食べるということなのでしょうね。台湾で暮らすチャンスがもしあれば、ぜひ実践してみたいところですが、そんな機会は来るのでしょうか。念じれば通ず、ということかもしれませんが。
 撮影場所は台北市長安西路の一角。2005年11月13日。日本時代には建成(けんせい)町2丁目という地域でした。台北駅北側に位置し、新富町の記事で触れた通り、沖縄の人たちがたくさん住んでいました。おさらいしますと、「臺北市民住所録(内地人ノ部)」(昭和16年版、1940.12.)に掲載されている沖縄出身者655人のうち、その住所が建成町となっている人は103人(15.73%)で、最も多くなっていました。

 この界隈は、暮らしがそのまま路地に張り出してきたみたいで、活気があります。かつて沖縄の人たちが暮らしていたというのがぴったりくる風情なのです。

ドライブ


 車の中でも落ち着きがありません。2009年08月27日。

2009年8月23日日曜日

ネコ

 考え事をしているみたい。哲学的なネコ。
 2009年08月23日。

ネコ

 知的な雰囲気です、表情だけは。 2009年08月23日。