2009年12月17日木曜日
2009年12月14日月曜日
東興洋行
桃園空港の両替所
2009年12月13日日曜日
CI121
2009年10月19日月曜日
寝ている、わけではない。
2009年10月15日木曜日
2009年10月13日火曜日
2009年10月12日月曜日
クロアジモドキ
調べているうちに、この魚を別の場所でも見ていたことを思い出しました。台北市長安西路でのことです。このときは、魚の名前までこだわらなかったのですが、魚の街、南方澳でこだわってみた甲斐がありました。北京語では「黒{魚+昌}」。「{魚+昌}」は「マナガツオ」の意。
日本では、刺身にすると美味という評判があるようですが、「菜市場魚圖鑑」には「清蒸、紅燒或油炸」とありました。蒸したり、しょう油煮込みにしたり、フライにしたりするのですね。クロアジモドキづくしというのも可能ですね。
だけど、刺身を食べてみたいなぁ。台湾でも食べれるんだろうか。
撮影は2009年09月06日。
Ichthyscopus_lebeck_lebeck
失礼ながら、奇妙な表情がインパクトがありました。凶悪そうなのですが、眼は小さくて、やさしそうではあります。
トレイに載せられて、市場の地面に無造作に置かれているのです。なんともあわれでした。買ってみようかという表情で品定めをしている人もいない。かがみ込むようにして私がカメラのレンズを向けなければ、見向きもされないような存在でした。
タイトルはこの魚の学名です。北京語では「石頭斑」というのだそうです。撮影したのは2009年09月06日で、南方澳でのことですが、それ以来、名前が分からず、ずっと調べ続けていました。と、このときの旅行で台湾の誠品で買ってきた「菜市場魚圖鑑」をよくよく見れば、きちんと掲載されているではありませんか。Ichthyscopus_lebeck_lebeckさんには失礼なことをしてしまいました。料理方法の説明には「煮湯」と書かれているので、これはきっと、日本語的には煮魚に違いない。違うかな。
日本語名は探しきれなかったのですが、サツオミシマというのが属レベルまで同じ種のようです。
2009年10月11日日曜日
2009年10月7日水曜日
パインのお菓子
中華航空の那覇発台北行きCI121便で、機内食のデザートにパインのお菓子が出てきました。2009年09月04日。
たった1時間のフライトだけど、国際線だという理由で、食事やら何からと用意してくれるのには感謝です。
このお菓子は新東陽のものですが、石垣島の住人であれば、ひょっとすると、「八重山と同じように台湾でもパインをよく食べるんだね」ということになってしまうかもしれませんが、これは実は勘違い。
八重山にとって、パインの本家は台湾だからです。八重山に移住した台湾出身の人たちがパインを八重山に定着させました。そのパインは戦後、宮古や沖縄本島から移民してきた人たちに活力を与える源にもなったのです。
いまやすっかり八重山の特産になったパインですが、もともと台湾のもと。台湾と八重山の結び付きを思わずにはいられません。
土地公祭
今年の土地公祭が行われました。2009年10月04日。
石垣に住む台湾出身の人たちが毎年旧8月15日に合わせて名蔵御嶽で執り行っています。
石垣島の人々の間では、ブタをまるごとお供えすることで知られており、今年は2頭が供えられていました。以前は、ブタの上にヤギ、ブタの下に魚や鳥の肉を供えていたものですが、ブタだけになって随分経ちます。それと入れ替わりというわけでもないでしょうが、観光客や台湾出身ではない八重山の人たちがぽつぽつと参観するようになり、それはそれでなかなか賑わいのある土地公祭となりました。
このブタの首に掛けてあるのは、日本の5円玉をつなげて作ったネックレスのようなものです。口には柑橘類をくわえさせ、そこに線香を突き立ててあります。もちろん、線香の先端からは煙がすーっと上がっていました。
2009年10月2日金曜日
2009年9月24日木曜日
区間車
大溪へは列車を利用したわけですが、蘇澳から各駅停車に乗りました。台湾風に表現すると「区間車」ですね。2009年9月7日のことですが、蘇澳発1024、大溪着1129着。72元。1時間という所要時間が長いか短いかはなんとも言えないところですが、北東部の海をゆっくり眺めているうちに、すぐ着いてしまったというのが私の記憶です。
宜蘭県といえば、雪山トンネルが開通して以来、臺北から行くならもっぱらバスという印象になりました。海岸線を大回りしていく列車は、速いとは言いがたいスピードで走り、比べてみると、バスのほうが速いという印象があります。
しかも、蘇澳の駅は、幹線からちょっとだけはみ出したような構造で、臺北と花蓮や台東を結ぶ列車は立ち寄りません。こうした列車に乗るには、1つ手前の蘇澳新駅へ出なければならないのです。だからだと思うのですが、蘇澳へ来る列車、とりわけ、自強號などの速い列車が減っているような気がします。
こういう不便さは住んでいる人には困ったことでしょう。旅行者である私は、楽しかったとか、景色がきれいだったとかそういうことによって、不便さを快適さに変換できるわけですが、生活者ではない者だからこそできる「変換」だといえます。
八重山へ来る観光客も同じようなことを考えているのかな。
宜蘭県といえば、雪山トンネルが開通して以来、臺北から行くならもっぱらバスという印象になりました。海岸線を大回りしていく列車は、速いとは言いがたいスピードで走り、比べてみると、バスのほうが速いという印象があります。
しかも、蘇澳の駅は、幹線からちょっとだけはみ出したような構造で、臺北と花蓮や台東を結ぶ列車は立ち寄りません。こうした列車に乗るには、1つ手前の蘇澳新駅へ出なければならないのです。だからだと思うのですが、蘇澳へ来る列車、とりわけ、自強號などの速い列車が減っているような気がします。
こういう不便さは住んでいる人には困ったことでしょう。旅行者である私は、楽しかったとか、景色がきれいだったとかそういうことによって、不便さを快適さに変換できるわけですが、生活者ではない者だからこそできる「変換」だといえます。
八重山へ来る観光客も同じようなことを考えているのかな。
自転車屋
石垣島は今日も良い天気。2009年09月24日。
よく世話になっている自転車屋に寄りました。近くの床屋へ行ったついでです。圧搾空気でプシュッと簡単に空気を入れさせてもらえるお店です。もちろん、それだけでなく、アフターケアもばっちりです。いつも頼りにしている自転車屋さん。
圧搾空気でプシュッと、というのは、店先でだれでも自由に、店主がいないときでさえ自由にさせてもらえるようになっていたので、今日も「空気、入れさせてもらいます」と一言告げて、入れさせてもらおうとしたところ、「壊されたから、外には出してない」と店主さん。バルブの部分が壊される“事件”があり、ここ1週間ほど、圧搾空気の道具を店内に置いているとのこと。金属製のバルブが折れるほどの力がかかったということは、どうやら、車に踏まれたらしいとのこと。
なんとも、悲しいできごと。
でも、店主のアフターケアは今日もこれまでと変わることはなく、私は1円も払うことはないのに、タイヤをつかんで空気圧を確かめたり、自転車のあちこちに油を差したりといったサービスをしてくださいました。
ありがたいことです。
2009年9月23日水曜日
大溪港
大溪漁港です。2009年09月07日。港の防波堤には「大溪老港」と書かれているので、現在はメインからサブの役割に移った部分なのかもしれません。遠くにかすんで見えるのは亀山です。
大溪漁港を訪れたのは蚵仔煎を食べるためではなく、別の理由があります。それは、大溪漁港がの南方澳漁港(宜蘭県蘇澳鎮)と関連していることが分かったためで、せっかくだから足を運んでみたいと思ったというわけです。
1932(昭和7)年に作成された「台北州協議会通常会諮問案」という資料では、大溪漁港の必要性を3点挙げており、そのうちの1つに「蘇澳及基隆漁港の避難、寄港地としての漁港の必要」とあります。この時期、すでに南方澳漁港は完成していましたが、この「諮問案」が出されるまでの間にどのような漁業被害が起こっていたのか興味深いところです。
一方、台湾で発行されている『台灣漁港圖鑑』(李嘉亮著,2005年)によれば、大溪に港があることは1928(昭和3)年発行の『台灣の港灣』ですでに取り上げられているそうです。
大溪漁港が現在の形になるまで、どのような変遷をたどってきたのかさらに調べてみる必要がありそうです。
2009年9月22日火曜日
蚵仔煎2
せっかく名前を覚えたので、宜蘭県頭城鎮の大溪漁港を訪れたときにも、蚵仔煎を頼んでみました。2009年09月07日。こちらは40元。臺南の安平古堡蚵仔煎より10元安かったけど、この差は何かな。安平古堡蚵仔煎では、器全体をビニールで覆ってから、そのうえに料理を載せる方法で衛生管理をしていたけど、その差かな。量と味は、甲乙付け難しでした。
大溪漁港は、省道2號から坂を下るようにしていくのですが、この坂道は海産物を売ったり、小吃を食べさせたり店が並んでいて、私はその1つで軽く昼食をすることにしたというわけ。店の名前はよく分からなかったけど、PR用の横断幕には「宜蘭伝統小吃」とあって、食べ物の名が3つ挙げられており、そこには「蚵仔煎」の文字もありました。
蚵仔煎
台湾ではカキが庶民の味だということを今回、初めて知りました。しかも、その食べ方は「蚵仔煎」という卵とじ風の料理が主流なんだそうですね。
私の場合は、カキといえば、やはり、カキフライでしょうか。殻の上に乗ったカキに酢を掛け、殻に口を付けて飲み込むように食べるのももちろんおいしいです。6月に広島で食べてきましたが、これはかなり久々でした。
写真の蚵仔煎は「安平古堡蚵仔煎」(台湾・台南市效忠街85號)で。50元でした。2009年09月04日。食べ進むうちに、表面のかりっとしたところと、とろりとしたカキがうまく混ざり合って、飽きの来ない歯ごたえでした。飾り気のない食べ物です。
お店は、安平天后宮に隣接しています。ただ、安平天后宮が面している安平路という大通りから、天后宮に沿うようにして、少し奥へ入ったところにあるので、その点は若干分かりにくい。店にたどり着くまでに、蚵仔煎を食べさせる別の店があったしもするので、間違えそう。しかし、そういうところも、蚵仔煎 がいかに人々の舌になじんでいるかと感じさせます。食べ比べも楽しそうです。
2009年8月30日日曜日
2009年8月27日木曜日
餃子
トウモロコシにニラ、キャベツ。ただギョウザと聞いただけで、口の中につばがいっぱい溜まってしまいますが、このバラエティを前にすると、食望がさらに高まります。
パック入りのを自宅へ買って帰り、調理して食べるということなのでしょうね。台湾で暮らすチャンスがもしあれば、ぜひ実践してみたいところですが、そんな機会は来るのでしょうか。念じれば通ず、ということかもしれませんが。
撮影場所は台北市長安西路の一角。2005年11月13日。日本時代には建成(けんせい)町2丁目という地域でした。台北駅北側に位置し、新富町の記事で触れた通り、沖縄の人たちがたくさん住んでいました。おさらいしますと、「臺北市民住所録(内地人ノ部)」(昭和16年版、1940.12.)に掲載されている沖縄出身者655人のうち、その住所が建成町となっている人は103人(15.73%)で、最も多くなっていました。この界隈は、暮らしがそのまま路地に張り出してきたみたいで、活気があります。かつて沖縄の人たちが暮らしていたというのがぴったりくる風情なのです。
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