2010年12月31日金曜日

翟山坑道


 金門の軍事施設だった場所を観光用に開放しています。翟山(zhai2shan1)坑道(keng1dao4)
 こういった場所は、媽祖でも訪れましたが、あのときは冬1月だったこともあって、まったく人気がなく、ただただ寂しかった。真っ青に晴れた空と、強い風。打ち付ける波の音が坑道の中に響いて、気味が悪かった。
 翟山坑道には人がいましたが、それでも、あえて来なくても良かったかもしれないと思わしめるようなムードがありました。
 戦争や軍に関係するものはまったく受け付けないというわけではないのです。糸満の「平和の礎」とかに行けば、時には、気持ちが開放的になりすぎて、自分を戒めなければならないほどであったりもしますし、気持ちがすっと静まり返ったりもするのですから。

 2010年08月29日。

これはどうにも…

 2010年12月30日の晩から読み始めて、翌日に読み終えました。いつも通り、寝床に横になって、ページをめくり始めたのですが、途中で映画を観たくなり、「プラトーン」を観て、再び、読み始めて、0100ごろにいったん就寝。翌朝、0730ごろから読み始めて、午前中に最期まで行きました。
 こんなふうに読んだり、観たりに没頭できるのも、年末年始だからでしょうか。思い切って、長めの休みにしてよかったと思う。
 正直なところ、読後感はすっきりしなかった。私の読みが浅いのか。それとも、女性になら分かるけど、男性の私には分かりにくいということなのか。でも、宮本輝は男性だしな。
 人が抱える「精神的なもろさ」みたいなものを肯定的に受け止める筆致は、今の私にはうれしかった。宮本輝の作品では「青が散る」のように、心に病を抱えた人が自殺してしまうようなストーリーも描かれるけど、「月光の東」では、逆に、心の病を抱えた女性が自分を取り戻し、日常的な暮らしに戻っていく様子が描かれていて、その点は安心しながら読むことができました。
 2010年12月31日。

2010年12月30日木曜日

桃園機場に大陸から乗り入れ


 台湾大陸間の直行が解禁になって随分過ぎましたが、それらしい写真をなかなか撮れずにいました。
 この写真はそれらしいかな、と。2010年10月25日。
 琉球、すなわち、沖縄からの便と、上海、武漢、マニラからの便が到着し、乗客の荷物が同じ回転台から出てくるという図です。下のほうを見ると、「welcome to Taiwan」の文字があるので、ここが台湾だと分かります。

「愉楽の園」宮本輝


 2010年12月30日、読了。市内の喫茶店でコーヒーを注文し、気分よく読み終えることができました。
 会社を辞めて旅に出てしまった野口も、タイの暮らしに見切りを付けた藤倉も、2人とも、それまでの連続していた日々に1つの区切りを付けるというところが共通していました。
 わたしはこの年末年始、いつもより長めの休みを取りました。野口のように会社を辞めるほどの「勇気」はないけど、そうしてしまいたい衝動は確実にあって、心身ともに休ませないといけないと思ったから。こんな時期にまとまった休みを取るのはよくないことなのかもしれないけど、親しい人から「心の声に従ったほうがいい」と勧められたことが後押しとなって、ゆっくり過ごしています。
 私がこれまで日々書き続けてきたのは何のためなのか、この先、何のために書き続けるのか。容易に答えが出るわけではない自問ですが、答えを出すことを目的とせず、考えることの目的として自らに問い続けるのがいいかもしれません。

 宮本輝の作品はほかに何冊か手元に置いてあります。以前読んだ作品もあれば、まだ読んだこともない本もあります。古本屋で手当たり次第に買ってきたのですが、そんなふうにして好きな作家の本を買い込むことも久しくやっていなかったことです。随分以前にどこかに置いてきてしまった私自身の感覚みたいなものを取り戻してみたい。

2010年12月27日月曜日

あたたかく


 昼寝をしています。カメラを向けると、ちょっとだけ目を開けたけど、またすぐに目を閉じて、自分の世界へ。
 寒いから、タオルや毛布が欠かせません。でも、天気はとてもよく、空気もからり。肌が引き締まるような日です。
 2010年12月27日。

2010年12月24日金曜日

名蔵湾


 ベタなぎ。まるで、鏡のような夕景でした。
 2010年12月24日。

於茂登岳


 朝の島をドライブしてきました。
 於茂登岳に雲の陰がかかっていました。
 2010年12月24日。

2010年12月23日木曜日

薛氏家廟03


 不思議だったのは、これ。
 左端の赤いものは花瓶で、その右側にハサミが2本。廟は古いものと、最近建立した新しいものの2棟があるのですが、どちらも壁の四隅にこれが貼り付けてありました。
 2010年08月29日。

薛氏家廟02


 表示板によれば、薛氏家廟は1768(乾隆33)年の建築。
 2010年08月29日。

薛氏家廟01


 金門縣金城鎮珠山で最も多い姓が「薛xue1(セツ)」で、薛氏家廟は、文字通り、薛家の廟である。
 タクシーで案内してくれた運転手の薛承岸(xue1cheng2an4)さんも、その薛家の一門。薛氏家廟に入るのに必要な鍵を持っていて、このときも当たり前の顔をして門を開くと、中へ入れてくれた。
 このような人が運転するタクシーに乗ったのは、ほんとについていると思う。自転車に乗らなくて本当に良かった。
 2010年08月29日。

金門縣金城鎮珠山07


 ちゃんと人が暮らしていることに気付く。当たり前のことを忘れてしまうところであった。当たり前のことを忘れずにいたほうがいいのか、忘れることのほうがいいのか。日常って、なんだ。
 2010年08月29日。

金門縣金城鎮珠山06


 なかなかの日差し。
 空が広いですね。
 どんな音がしたっけ?ほとんど静かだったんだったかな。思い出せない。きっと、耳障りな音はなかったんだろう。
 2010年08月29日。

金門縣金城鎮珠山05

 この日は日曜日。村の人が歩いている姿をあまり見かけませんでした。
 村は45戸ほどで、人口100人余りといった規模なのだそうです。静かなたたずまいです。
 2010年08月29日。

金門縣金城鎮珠山04


 2010年08月29日。

 供物の数々。
 どのような意味合いのある儀式だったのかは分かりません。

金門縣金城鎮珠山03


 2010年08月29日。
 拝見した三合院の外観。屋根の造りは、台湾本島の伝統的な家屋と異なっているような気がします。

金門縣金城鎮珠山02


 2010年08月29日。
 金門の伝統的な三合院ということなのでしょう。このような建物の内側に入れていただけるとは、得がたい体験というほかありません。
 金門縣金城鎮珠山61號。
 相手を見極めるということももちろん大事ですが、地元の勧めには従うものですね。郷に入らば、郷に従えというのとは少し違うかもしれませんね。島の常識みたいなものに身をゆだねてしまう。
 観客向けの案内というのは多少の脚色があるものだというのは八重山で経験済み。観光客にはこんなふうに旅してほしいという思いと、そういうスタイルで旅をすることが実際に快適かどうかというのは別問題ということも、八重山で経験済み。
 

金門縣金城鎮珠山01


 2010年08月29日。
 金門の空港に到着したあと、タクシーで金城鎮へ移動。金城鎮役場で自転車を貸してもらえるという情報があったので、その自転車で島を回るつもりでいたが、タクシーの運転手に「暑いからやめたほうがいい」と言われ、そのままタクシーをチャーター。
 元は小学校だったという博物館のようなところに立ち寄ったあと、運転手の出身地、金城鎮珠山聚落へ案内してもらった。金門國家公園のHPによると、古崗区に一角にあたるようだ。
 好天で、タクシーの車内はもちろんクーラーが効いて涼しく、少し走っただけで、運転手の助言にしたがって正解だったと悟ったが、本当に正解だと思ったのは、珠山に着いてから。
 珠山でまず連れていかれた家では、ご先祖様に対する祈願を終えようとしているところで、その様子を見学させてもらっただけでなく、銀紙を燃やす体験をしたり、茶をいただいたりした。
 出身地の、しかもほどよい大きさの集落だからこそ、このようなことも可能なのだろう。

臺北松山空港から金門空港に到着した立榮航空機


 2010年08月29日。
 立榮航空のMD90。臺北発0845、金門着0942。ほとんど1時間で到着。便名はB7-0883。
 

台湾元から人民元に両替


 2010年08月29日。
 金門経由で廈門へ。
 金門行きの飛行機に乗る前に、台北・松山空港で両替をしてみました。
 10000台湾元が2033人民元になりました。高いのか安いのかよく分かりません。思えば、日本円から人民元に両替しておけばよかった。
 2010年08月26日に関空で両替したところ、9975日本円が700中国元になりました。
 08月29日の台北では100人民元が492台湾元。
 08月26日の関空では100人民元が1425日本円。
 日本円と台湾元の比率は2.9。
 どうなんでしょうか。

2010年臺北國際花卉博覧会のマスコット


 マスコットは「吉祥物(ji2xiang2wu4)」というのだそうですね。
 臺北國際花卉博覧会のHPを日本語でみると、花博のマスコットは5人組のバンドということになっていて、この写真に写っている2人はドラムの「ゆりりん」(左)とボーカルの「らんちゃん」だと分かります。
 北京語でなんというのか正確に知りたいところですが、中文繁体のHPがなかなか開かず、調べ切れません。
 このマスコットたちには、松山空港でお会いしたのでした。
 2010年08月29日。

眠くなると、頭が重たくなるらしい。


 帰宅してみたら、ソファのうえでゆっくり眠っていました。私が近づいたら、ちょっとだけ目を開けたけど、しばらくすると、目を閉じて夢の続きに入ってゆきました。
 2010年12月23日。

台湾ツアー


 まちまで歩いて出て、食事をしてから、少しうろついてみました。天気は良いのだけど、さすがにひんやりとしいて、そういう風合いはやはり冬そのものです。
 ゆいろーども、歩いてみると、なかなか空が高いものです。
 2010年12月23日。
 食事をしながら、来年夏の台湾ツアーのことを考えてみた。石垣台湾間の直行便が飛ぶということが大前提。
 3泊4日にすると、初日は台北に夜到着するのだから、実質的な行動は2日半といったところか。
 初日は台北着で、何もせずに、台北泊。
 2日目:台北駅裏側+基隆+和平島
 3日目:蘇澳+宜蘭の傳統芸術中心
 4日目:最新の台湾+台北教育大
 といった感じになるかな。
 かなり急ぎ足。101が混んでたら、登れなくなっちゃうかも。

2010年12月22日水曜日

もこもこ


 実にかわいらしい子です。
 帰宅して、この子とちょっと遊ぶと、なんとなく気持ちが落ち着いて、心が軽くなります。眠っている姿を見ていても、あったかい気分になれます。
 2010年09月19日。

廈門の夜


 すっきりとしたたたずまいですね。
 廈門の中心部はコロンス島へ向かう港とその周辺だと思うのですが、その港から中山路をずぅっと、ゆっくりと歩くなら、10分か15分ぐらい、まっすぐ歩いていくと、こんな建物があります。ここも依然としてにぎやかです。
 2010年08月29日。

マック


 簡体字のマック。
 味はどうなんだろう。せっかく廈門に来たのだから、わざわざマックに入ることもなかろうに、と考えるのも正論だし、廈門のマックってどんなの?って体験するのも良し。今回は前者でしたので、次回は入ってみようかな。
 与那国島の子供たちに、繁体字のマックと簡体字のマックの写真を両方見せたら、興味津々といった顔をしていました。
2010年08月29日。

廈門のビール02


 「大白鯊」のラベルです。
 2010年08月29日。

廈門のビール01


 大白鯊(da4bai2sha1)。ピンインも、意味も、どちらも分からなかったので、調べてみました。「鯊」は「サメ」のことなんですね。簡体字のwikiから学名を調べ、その学名をもとに日本語のwebで検索すると、「ホホジロザメ」とでました。手元にある電子辞書では「ホオジロザメ」に対応して「大白鯊魚」とあります。むー。生き物の名前を正確に翻訳するのって、とても難しいことなんだろうか。
 びんに特徴があるかなといったところです。味は少し甘めのようです。
 2010年08月29日。

ニガウリ


 苦瓜沙拉湯。
 ニガウリは台湾でもよく目にしていましたが、廈門でも遭遇したということになります。それにしても、緑が濃いですね。沖縄では緑、台湾では白。廈門では再び緑。台湾を挟んで、沖縄と廈門は共通ということなのか、種類は違うけれども、見かけは似ているということなのでしょうか。
 ここはやはり、調理前のゴーヤーを直に見てみたいもの。廈門で人々が食材を買い物している様子を見ることができなかったのは心残り。
 2010年08月29日。

炒飯。


 「揚州炒飯」。2010年08月29日。
 普通のチャーハンじゃないかと思って食べましたが、このブログを書くにあたって、調べてみたところ、揚州炒飯というのは、チャーハンのなかでもよく知られたチャーハンなのだそうですね。
 舌が肥えているとは言えない私のこと、ほかの店の炒飯に比べてどうなのかということを言うことはできないのですが、次の機会に「揚州炒飯」なる文字をメニューに発見したら、あらためて注文してみることにしましょう。

食器


 佳鑫美食園の食事で最も興味を引いたのは、この食器セット。皿やら、コップやら、お椀やらが一揃いのパックになっていて、席に着くと、まずはこのパックが客の前に置かれるという手順。食器を店で洗って、次の客に使用するということではないようです。
 廈門には3泊したのですが、こういうパックを出す店はほかにありませんでした。ここと似たような感じの店に入らなかったからということもあるかもしれませんね。だから、普及しているのかどうかは不明。
 衛生を確保するツールということのようです。
 2010年08月29日。

佳鑫美食園


 「佳鑫美食園」の正面はこんな具合。「鑫」の字は、別の字かもしれないけど、こういうふうに書かれてしまうとよく分からない。お店のカードをもらっておくべきであった。失敗。
 2010年08月29日。

ハタ(石斑魚)


 廈門で石斑魚(ハタ)を注文。蒸してもらいました。グロテスクな顔つきですが、高級魚なんですってね。食べ物を選ぶということが不慣れな私に代わって、きちんとえらんでもらいました。
 廈門市海后路22號の佳鑫美食園で。石斑魚と炒豆苗、揚州炒飯、苦瓜沙拉湯、それにビールを頼み、2人で263人民元。初めて廈門で味わう夕飯だったので、高いのか安いのか、リーズナブルなのかどうか、判断するのは難しいです。
 2010年08月29日。

平久保


 せっかくなので、平久保灯台まで行ってきました。
 相変わらずきれいな海。遠くをみると、もやがかかったようになっていたけど、これは風が強いせいかな。その風のせいで、斜面に生えた草が絶えずなびいていて、遠くからみると、うねうねと波のように動いて、それがとても美しかった。
 私がいる間に、車が3台来たのだけれど、すべて「わ」ナンバーのレンタカー。地元民の車は一台もなく、だから、知り合いに会うこともなく、穏やかに過ごすことができました。ときには、観光客に話しかけてみることもあるけど、今日はとてもそのような気分にはなれず。
 2010年12月22日。

ぶらぶら


 なんの目的もなく、石垣島で車を走らせる機会って、そうそうありません。用事に向かって駆けていって、それが終わったら戻ってくるということの繰り返しですから。
 無目的に車を走らせるというのも、いいものです。明石と久宇良の間に景色のよいところがあるのですが、ちょっと車が停められるようになった空間があって、その向かいの歩道に、人が腰掛けるためらしい、こぎれいなブロックのような直方体が置いてありました。この景色だったら、車を停めたくなるものなぁと思いました。
 野底マーペーもちょこんと見えています。石垣島が移民でなりたっている島だということを説明するときのスタートになるのが野底マーペーですね。昔の悲話を、今の石垣島がはらむ多様性に転換していきたいものです。もちろん、そのなかには、八重山と台湾の関係も含まれているのですが、それだけでなく、たくさんの多様性。
 2010年12月22日。

明るい日差し

 このところ、天気が良いのです。暖かいところを探しては、寝転がっています。
 2010年12月21日。

2010年12月11日土曜日

箱入りニャンキー


 どんなに狭苦しくても、狭ければ、狭いほど良いらしいのです。こんな小さな箱でさえ、昼寝の場所になってしまいました。2010年12月10日。