2008年9月30日火曜日

有村海運


 有村産業のフェリーは便利で安いので、私は年に何度か利用していたものですが、それも2007年8月28日が最後になってしまいました。基隆に接岸しようとしているとき、なんとなくおもしろいなと思って撮ったのが、有村の船上でシャッターを切った最後のフィルムです。
 有村産業は会社更生法による更生計画によって会社の再建に取り組んでいたのですが、世界的な原油高で燃料調達コストが高くなり、更生計画通りに債務を返済することができなくなったのですが、筆頭債権者である政府系の独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が更生計画の変更を拒んだため、倒産に追い込まれたと言うこともできます。2008年6月、有村のフェリーは南西諸島や台湾での運航を停止しました。

 台湾と沖縄、つまり、台湾と日本を結ぶ航路を、なぜ残そうとしなかったのでしょうか。いろいろな理由があるのだとは思いますが、残念でなりません。石垣島や八重山諸島は、台湾とお隣りにあるというのに、那覇まで飛行機で行って、そこから中華航空に乗り換えて、台北まで飛行機で行かなければならないのです。もう、そのルートしかない。ずいぶんな金額になってしまいます。何より、不自然です。隣に行けないなんて。
 有村のフェリーなら、多少時間はかかるけど、ダイレクトに行けた。それに、安かったしね。時間がかかるといっても、船内では仕事もできるし、眠ることもできるし、読書もできるし。素敵な空間だったと思います。

 だから、私もよく利用しました。

 辺りにまったく島影の見えない孤独な海を甲板から眺めていると、いろんなことを考えたり、逆に思考が消え去ってしまったり。快晴の空から日差しが照りつけているから、頭もふだんと違ったふうに回転していたのでしょう。海鳥がずぅっと追走し、海に飛び込んだり、海面から飛び上がったりするのもおもしろい。しばらくすると、台湾東部の島影が見え始め、その山容に見入り、手前にぽっかり浮かぶ亀山を眺めているうちに、基隆入港。

 こんな船旅、復活してくれないかな。

2008年9月29日月曜日

南方澳的餐廳


 捕れたばかりの魚介類が店先に並んでいます。トレイに収まった食材のうえには、ペットボトルがあるのが見えますが、そのなかには、透き通った液体が入ってますよね?。そう、ご想像の通り。これは水を入れて凍らせたペットボトルを保冷剤に使っているのです。

 このキラキラ光った魚はなんというのだろうか。食通だったら、すぐに何何と分かるんでしょうけど、ここに写っている食材のうち、私にはイカしか分からない(これも、きっと、「何何イカ」という表現があるのだろうなぁ)。

 だけど、名前が分からなくても大丈夫。食事はできます。この中から好きなものを選び、調理方法を伝えて、店内に入って、料理ができあがるのをテーブルで待てばいいのです。そういうのが苦手という人は、まず店内に入ってしまって、メニューから好きなものを選べばOKです。

 私が初めてこの店に来たのは2007年8月30日。2度は2008年9月3日で、この写真はその時の撮影です。蛤のスープとか、イカの炒め物とかを作ってもらいましたが、言うまでもなく、美味。無言で、とは言いませんが、話をする時間ももったいないとばかりに、箸とスプーンを動かし続けました。

 南方澳という港町にあります。台湾東部の宜蘭県蘇澳鎮です。

 南方澳は、航海安全の神、媽祖を祀った廟「南天宮」(道教の寺院)で知られていますが、この店はその南天宮のはす向かいに位置し、江夏路(jiang1xia4lu4)という通りに面しています。

 この店を知ったからというわけではないのだけど、南方澳は四季を通して歩いてみたい街です。言うまでもなく、それは、春と秋、冬の海の幸を試してみたいから。台湾東部の海は、八重山の海とつながっているはずだから、捕れるものも似ているのかなぁ。冬場の、たとえば、マチとかがあったら、食べてみたいものです。

2008年9月28日日曜日

南方澳

 「産地直送」なんてわざわざ言わなくなって、漁船を係留した岸壁の目の前で売っているのだから、捕れたものをそのまま売っているのは当たり前のこと。
 宜蘭県蘇澳鎮の南方澳。売り手の女性(腰掛けている)の後ろ側には南方澳の第2魚市(魚市場)の建物があります。向こう側に見えるのは南方澳跨港大橋で、南方澳を出入りする船は必ずここをくぐっていきます。
 この写真は2008年9月3日の午後4時半ごろに撮りました。夕飯の準備ために人びとが品定めをしているようです。服装からみて、南方澳へ観光に来た台湾の人たちも多数混じっていたようです。
 人の暮らしと食べ物が切っても切れないものなのだということを改めて感じさせられました。自分が暮らしている場所で捕れた物を、捕れたてのときに手に入れ、すぐに料理するんですものね。
 南方澳には私のお気に入りの海鮮料理屋があって、そこは、見かけはどこにでもあるようなごく普通の食堂なのですが、味はピカ一。魚市で写真を撮ったあと、午後5時ごろに行ってみたら、まだ準備中で、「5時半に開店だ」と言われました。手を忙しく動かし、下ごしらえしながらの応対でした。第2魚市ではないかもしれないけど、きっと、捕れたばかりの魚を仕入れ、新鮮なうちにさばいているのでしょう。毎日毎日、そうやって商売をしている。
 だから、おいしいのかな。私は決して食通じゃないし、味については保守的なほうだと自認しているけど、そんな私でもここへ来れば、食べ物について考えるのです。

2008年9月27日土曜日

土地公祭


 石垣島の土地公祭は今年、予定より1週間遅れの9月21日に開かれました。供え物のブタは2頭。口に噛ませた柑橘類に、台湾独特の細長い線香を突き刺し、そこから煙を立ち上らせます。1980年の土地公祭と比較してみてください。モノクロかカラーかという違いを超えて、風情の違いが分かるはずです。

 今年の土地公祭では、両親が台湾出身、自分自身は石垣島出身という若者に出会いました。高校を卒業したあと、しばらく島を離れていたUターンです。若い華僑が土地公祭に来ているのなら、手伝いやら何やらといった裏方をやっていいように思うのですが、彼は観察者としてそこへ来ていました。幼いころ、一緒に遊んだりしたような世代の華僑もきていて、声を掛け合ったりはしているのですが、彼らが土地公祭に参加しているようには振る舞わない。遠くから見ている。

 「土地公祭に島の人(台湾関係者以外の石垣の人)は参加するのか?」

 「土地公祭に以外の、八重山の祭りにはどのようなものがあるのか?」

 観光客や、つい最近引っ越してきたような人でも知っていそうなことを、彼は私に質問してくるのでした。そんな彼に、私は奇異な印象を受けたのですが、彼のような若者がむしろ普通なのではないかと思い直しました。しばらく島を離れ、本土からの視線で島を見ていた彼が島へ戻ってきたとき、島のことに初めて興味を抱いたのかもしれません。

 それともう1つ。

 彼が、島で生活していたころ、つまり、島を出ていく前、台湾出身の両親を持つという自分の立場に肯定感を持つことができなかったのかもしれません。だから、いかにも台湾的な土地公祭から離れていた。今なら、台湾的なものに接することに抵抗感はなく、逆にもっと触れたいと思うようになった。

 推測してみれば、そのようなことがいえるのかもしれません。

2008年9月14日日曜日

八重山と金門


 与那国島は台湾との距離がわずか100キロ余り。JALのウェブで見ると、県庁所在地の那覇までは316マイル、つまり約500キロ。
 一方、金門國家公園のウェブによると、金門は対岸の大陸アモイまで10キロ、台湾までは277キロ。
 与那国と金門の共通点といえば、どちらも行政の区域でみると、中心から遠く離れているんだけど、国交が成り立たっていない場所とはすごく近いということ。
 共通していないのは、その国交が成り立っていない場所との間を行き来が、金門では可能で、与那国ではほとんどできないということ。
 しかし、与那国と台湾との間の直航は緒に就いたばかり。去年10月に与那国台北、今年7月に与那国花蓮の間を直航チャーター便が飛び、徐々に実績づくりが進んでいます。写真は去年10月に運航した台北発与那国行きの搭乗券です。今年度後半にも船や飛行機による直航便が運航されることになりそうです。与那国町は、台湾との交流を図ることによって、島の経済を浮揚させようとしているけど、島に住む人たちにその成果が行き渡るまでは至っていません。その途上にあるといえます。
 
 この状況に「与那国が自立していくためには、台湾とうまくやっていくしか方法がない」と思う私。ある政治学者にこの話をしたら、似ているようで異なる指摘を受けました。「与那国は、頼るべき台湾がすぐ近くにあるだけ幸せ」とのこと。起爆剤の“軸”となるようなものを探すのだけで大変だ―という地域があるということなのでしょう。
 
 台湾から来た別の研究者と、金門と八重山の共通点や相違点について話をする機会がありました。金門にはいわゆる「小三通」がありますが、その成果は当初予想されていたほどではないし、今後もし「大三通」が始まってしまったら、どうなるのか分からないという悲観的な見方もあるのだそうです。実際に金門を訪問し、その状況をチェックしてみたいものです。与那国のことを頭の隅っこに置きながら、金門のことを見てみると、与那国が台湾との間でどのような関係を結ぶべきか、日台間を往来する人やモノの流れの中で、与那国がどのようなポジションを見いだせるのかを考えるヒントをつかめそうです。

2008年9月12日金曜日

旧暦8月15日




 旧暦8月15日は、今年は9月14日です。
 沖縄県石垣島では、台湾出身の人たちがある祭祀を執り行うのですが、台風13号が接近していて、延期になってしまいました。新しい開催日は21日です。
 この祭祀は土地公祭といいます。 写真は1980年9月23日のものです。
 石垣島に住む台湾出身者が有志を中心にして続けてきた祭祀で、戦中戦後の一時期を除いて、60年ぐらい続いています。祀られるのは「土地公」という土地神。台湾出身者たちが発音しているのを聞くと「土地公」は「トティコン」と聞こえますが、石垣島では「とちこうさい」と言えば通じます。
 祀りでは、ブタを丸ごと供えますが、「丸ごと」といっても、法律的な要件を満たした屠畜場で処理してもらわなければなりません。ところが、その屠畜場が台風13号のために閉鎖されてしまい、お供えを用意できないという事態になってしまったというわけです。

2008年9月8日月曜日

和平島活海産




  「三點螃蟹」を調理してもらったのはこの店。

 この写真の左側に、カニなど海鮮を売る店がずらりと並んでいて、品定めをすることができます。私もそこで買い、この店へ持ってきて、調理方法を指定して、調理してもらうというシステムです。

基隆・和平島のカニ


  おいしそうな色をしていますよね。「三點螃蟹」といいます。甲羅に3つの点があるのでこの名前なんだそうです。2008年9月5日、基隆の和平島にある和平観光魚市で見付けました。カニの季節なんだそうで、三點螃蟹を中心に、生きたカニをいけすで売る人多数。2匹で150元で買い込み、同じ並びにある料理店で蒸してもらいました。蒸してもらうのに100元ということで、合計2匹250元。
 買うときに「肉が多いのを」とお願いした甲斐もあってか、肉がしっかり詰まっていて、味わい深かったぁ。カニって、指が汚れて、においも付いてしまうけど、そんなことにはかまっていられない。無言で食べ続けました。
 カニは食べるのに手間がかかるというか、少量を何回にも分けて口に運ぶことになるけど、この食べ方は私の消化のスピードに合ってるかも。
 ちなみに「螃蟹」は「カニ」のこと。北京語のピンインはpang2xie4です。
 ビールは台湾ビール。大瓶(?)というのかな、ともあれ、瓶ビールが1本90元。コップの大きさが小振りで、私のペースには、これまたぴったり。