2009年9月23日水曜日

大溪港




 大溪漁港です。2009年09月07日。港の防波堤には「大溪老港」と書かれているので、現在はメインからサブの役割に移った部分なのかもしれません。遠くにかすんで見えるのは亀山です。
 大溪漁港を訪れたのは蚵仔煎を食べるためではなく、別の理由があります。それは、大溪漁港がの南方澳漁港(宜蘭県蘇澳鎮)と関連していることが分かったためで、せっかくだから足を運んでみたいと思ったというわけです。

 1932(昭和7)年に作成された「台北州協議会通常会諮問案」という資料では、大溪漁港の必要性を3点挙げており、そのうちの1つに「蘇澳及基隆漁港の避難、寄港地としての漁港の必要」とあります。この時期、すでに南方澳漁港は完成していましたが、この「諮問案」が出されるまでの間にどのような漁業被害が起こっていたのか興味深いところです。
 一方、台湾で発行されている『台灣漁港圖鑑』(李嘉亮著,2005年)によれば、大溪に港があることは1928(昭和3)年発行の『台灣の港灣』ですでに取り上げられているそうです。
 大溪漁港が現在の形になるまで、どのような変遷をたどってきたのかさらに調べてみる必要がありそうです。

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