2009年2月25日水曜日

石垣島


 本日の石垣島は晴れ。最高気温は26.5度でした。

 2009年2月25日。

 石垣市名蔵で。

2009年2月24日火曜日

國分直一


 國分直一のことは、すでに別便で触れていますが、その続報です。

 うかつというか、勉強不足というか、「遠い空 國分直一、人と学問」(海鳥社、2006)という本が出ていて、南方澳の調査についても触れられていました。それによると、國分は戦時中の1944年3月、蘇澳へ動員された折、南方澳の沖縄人集落を調査していたということです。戦時下の調査であった故に、調査そのものに空しさを覚えていたことにも触れられており、心身ともにやっとのことで調査活動を続けていたことを伺い知ることができます。

 この本のことは、先日、与那国へ調査に行った時、たまたまお会いした大学の研究者から知らされ、帰任後さっそく注文・購入したというわけです。

 詳しいことは本書をお読みいただきたいと思いますが、南方澳の調査がいかに貴重なものであったかが伝わってきます。60年以上後の時代を生きる私は、國分の調査から何を学ぶことができるのでしょうか。思索は続きます。

2009年2月20日金曜日

担仔麺




 たいしたことではありませが、いろいろと事情があって、MRTの雙連站はよく足を運ぶ場所です。待ち合わせとかでよく行くんですが、軽く何か食べたいなという時にも好立地。


 2006年11月27日に立ち寄った小吃店で注文した担仔麺(dan1zi1mian4)は45元。冷めたように見えるのは、湯気が立っていないからだけど、しっかりと熱々で出てきました。

 蝦、蛋、それに、青々とした葱。お得感がありますよね。私が台湾で食事をする時、注文頻度の高いメニューです。葱は、好きではない食材の1つですが、担仔麺の葱はok。担仔麺も良いし、そもそも、台湾で食べるというのが良いから、ということかもしれません。

2009年2月19日木曜日

港らしい建物


 この建物、何をかたどったものか分かりますか?分かる方はすぐ分かるかもしれませんね。何せ、港にある建物ですから。

 正面から見た写真がこちらにあります。

 臺東縣成功鎮で2006年5月26日に撮影。

60年以上前の名簿に出ていた人


 与那国島で、植民地台湾へ行ったことのある人を訪ね歩いていたところ、「新港で生まれた」という方にお会いすることができました。

 新港は現在の臺東縣成功鎮。港の名前は今も「新港」。この写真は漁港施設で、船をかたどったものです。錨の飾りや、突きだした船首の形が分かりますね。おもしろい造りです。

 成功を訪問したのは2006年5月26日。戦争が終わったときに新港にいた日本人の名前を戸籍簿から拾い出し、その名簿を作ったという方がいらっしゃり、その方から、名簿をコピーをいただきました。与那国訪問の後、そのコピーをめくっていきますと、その方のお名前が書かれていました。

 与那国・八重山から臺灣へ行った人がたくさんいらっしゃいますが、その足取りを確かめる作業はお1人お1人に当たり、インタビューし、残されているならば資料と突き合わせていくということの繰り返しです。その繰り返しが、与那国・八重山と臺灣の関係を積み上げていくことになるわけですね。

 当たり前でありながら、しかし、気の遠くなるような作業。自らの力量不足に嘆息することもしばしばですが、与那国で「新港で生まれた方」にお会いできて、石を1つ積み上げた気分です。

 この方に早く連絡して、「名簿に載ってますよ」って伝えなければ。

2009年2月18日水曜日

頭城


 2008年11月14日、南方澳へ向かうため、自強號1063次に乗りました。台北発1430、羅東着1555。羅東からはバスに乗り、南方澳へ行ったというわけです。羅東に着くころには雲が広がり、南方澳に着くころには日没後の空から雨がしとしと降り出すという天気でしたが、羅東までの自強號は晴天のなかを走りました。

 頭城(tou2cheng2)鎮の亀山駅付近を通過しているときに撮りました。向こうに小さく見える島が「亀山」です。

 台北と南方澳を結ぶこの鉄道は、日本が台湾を植民地支配していたころに敷設されたもの。八重山から台湾へ来ていた人たちは、大勢がこの鉄道を使用して行き来していたことでしょう。八重山と南方澳の間は漁船が行き来し、その船に漁民の以外の人たちも乗り込んでいたので、そういう人たちが南方澳から台北に向かうために乗り込んだり、戦後、台湾から八重山へ引き揚げようという人たちが南方澳へ向かうためにも乗り込んでいたはずです。

 そういう八重山の人たちが見ていたかもしれない景色を今見てみると、この写真のようになっているというわけです。

2009年2月17日火曜日

おおわらじ


 与那国空港へ来るたびに気になっていながら、つい撮り逃していましたが、昨日(2009年2月16日)、撮ってきました。伝説の「おおわらじ」。クバガサのでかいヤツについてはどういう伝承があるのか分かりませんが、とにかく、「おおわらじ」です。

麻豆の旧家02




 直近の別便で紹介した旧家の正面を斜めから撮ったところです。落ち着いたたたずまい。好天にも恵まれました。
 2006年11月29日。

麻豆の旧家01


 2006年11月29日。臺南縣麻豆鎮を訪問。伝統的な三合院があるということで、連れていっていただきました。敷き詰められた赤レンガが印象的。こういう家は減りつつあるそうです。

 麻豆は第2次世界大戦末期、石垣島からの疎開者が身を寄せていたことがあり、麻豆訪問はその時の様子をうかがうためだったのですが、貴重な家を背景することができました。