2009年8月30日日曜日



 台北市の長安西路は台北駅のすぐ北側。首都の中心部で、人がちゃんと暮らしていることを実感できるのですね。都市が拡張しているというより、人々が寄り集まっているというイメージ。餃子も買えば、魚も買う。台所にそのままつながっていく風情が好ましく思えます。2005年11月13日。

2009年8月27日木曜日

餃子


 トウモロコシにニラ、キャベツ。ただギョウザと聞いただけで、口の中につばがいっぱい溜まってしまいますが、このバラエティを前にすると、食望がさらに高まります。
 パック入りのを自宅へ買って帰り、調理して食べるということなのでしょうね。台湾で暮らすチャンスがもしあれば、ぜひ実践してみたいところですが、そんな機会は来るのでしょうか。念じれば通ず、ということかもしれませんが。
 撮影場所は台北市長安西路の一角。2005年11月13日。日本時代には建成(けんせい)町2丁目という地域でした。台北駅北側に位置し、新富町の記事で触れた通り、沖縄の人たちがたくさん住んでいました。おさらいしますと、「臺北市民住所録(内地人ノ部)」(昭和16年版、1940.12.)に掲載されている沖縄出身者655人のうち、その住所が建成町となっている人は103人(15.73%)で、最も多くなっていました。

 この界隈は、暮らしがそのまま路地に張り出してきたみたいで、活気があります。かつて沖縄の人たちが暮らしていたというのがぴったりくる風情なのです。

ドライブ


 車の中でも落ち着きがありません。2009年08月27日。

2009年8月23日日曜日

ネコ

 考え事をしているみたい。哲学的なネコ。
 2009年08月23日。

ネコ

 知的な雰囲気です、表情だけは。 2009年08月23日。

2009年8月22日土曜日

蓮霧


 2006年2月27日に撮影したのですが、この時期に蓮霧なんですね。今思えば、不思議な光景です。しかも、この赤さ。
 先月中旬、知人と一緒に石垣島の西部地区へサガリバナを見に行ったのですが、そのときにも蓮霧が鈴生りで、ずいぶん食べたものですが、こんなに赤くはなかったと思います。味はほどよく淡くて、水っ気たっぷりという、申し分のない実でしたけどね。
 この写真を撮ったとき、いくつか買って帰ればよかった。悔やまれます。

心臓



 つやつやとしておいしそうですね。どんなふうに食べるのかよく分かりませんが。内臓なのに、グロテスクに感じないのはなぜだろう。2006年2月27日。嘉義で。

ちまき


 石垣島で、台湾出身の人たちとお付き合いしていると、いろいろな食べ物を頂戴します。台湾出身の方でなくても、石垣島に住んでいる人たちは、実に快く、いろんな食べ物を下さいます。私は畑もないし、魚も捕れないし、料理もうまくないので、お返しをすることができないのですが、そんなことは構わずに、いろいろと下さいます。ありがたいことです。
 で、なぜちまきかと言うと、台湾出身の人たちから本当の旨さを教えてもらった食べ物の代表格のような気がするからです。旨さにもう一つ付け加えるならば、そのバラエティでしょうか。うならせる味ばかりなのです、これが。はぁ、食べたくなってきた。
 写真は2005年02月27日。2度目の嘉義で。ちまき溢るる風景です。

2009年8月19日水曜日

牛肉麺

 しばらく味わっていません。恋しくなってきました。2008年03月22日。台北市漢口街一段33號にある東東牛肉麺で。85元です。市内中心部にあるせいか、ちょっと高めですが、それでも日本円にすれば300円しません。安さと旨さは十分です。
 石垣島に住む台湾出身者の方のなかには「牛肉麺很好吃!」と、夢見るような目をする人がいます。分かるような気がします。

マンボウ

 台湾で初めてマンボウを見たのはこの時ではないかと思います。花蓮市でのこと。まだ食べてはいません。このときは、その姿に圧倒された、というとあまり正確ではないかな。マンボウの実物を目の前で見たのは初めてだったので、ただ撮るのに夢中でした。どんな味がするんだろうか。2002年10月17日。

 

2009年8月16日日曜日

パイン(3)

 真っ黄色(農家の方は「真っ赤」と表現しますが)になっているのは、熟れすぎてしまっている証拠。台風8号で潮をかぶり、そのあと急に強い日差しを浴びると、一気に熟してしまうそうです。こうしたパインは工場に運ばれ、ジュースなどの原料になります。価格は、生で食べるものよりも随分安くなってしまうそうです。
 撮影に取りかかる前、熟し切ったパインをその場で1つ切っていただいたのですが、そのジューシィだったこと!。

パイン(2)

 こちらは、贈答用なのだそうです。だから、頭に葉っぱを付けたままにしてあります。
 八重山・石垣を代表する夏の味覚ですが、もともとは八重山にはなく、戦前、台湾の人たちが持ち込んで広まりました。台湾産の熱帯果樹ですが、いまではすっかり八重山の風景に溶け込んでいます。「伝統」とか、「らしさ」とかっていうものの意味を考えさせられます。

パイン(1)

 パインの撮影をしたくて、知り合いの農家にお願いしていたのですが、台風8号で予定が大きく狂い、結局、今季のパインが終わるぎりぎりのところでの撮影となりました。2009年08月12日。
 籠を背負い、熟したパインを後ろ手で次々に放り込んでいきます。見事な手際で、籠に放ったつもりのパインが落っこちてしまうのは、的を外したというわけではなく、籠がいっぱいになったことを意味する合図のようなものなのです。
 撮影している私は、撮り終えてしまえば、畑から帰ることができますが、農家のみなさんは大変です。やはり、午後2時ごろが一番きついとのこと。

 四カ字の豊年祭は今年、台風8号に翻弄されました。石垣字会のオンプールは6日の予定だったのですが、午後の奉納芸能は風雨が強まったために15日に延期になりました。
 
 奉納芸能は通常は午後3時からなので、横から日差しが照り付けるということはありません。しかし、今年のオンプールは15日午前9時からというわけで、出番を待つ人たちの東側からまともに日が照り付けました。

 で、女性たちは笠を斜めにして東からの日差しを遮っているのです。

 例年の豊年祭ではお目にかかれないちょっと珍しい光景です。撮影は2009年08月15日。

 なんでこんなかっこうするんだろう。かわいらしい手です。起きてるときは、この手で人の手を抱え込み、遠慮無く噛み付いてくるのですが。2009年08月16日。

2009年8月12日水曜日

ベランダ


 戸を開けると、ベランダへ出たがります。
 2009年08月12日。

2009年8月11日火曜日

段ボール

 段ボールが大好きです。こんなふうにして外の様子をうかがっています。ちょっと怖い目です。2009年08月11日。

2009年8月8日土曜日

コインロッカー(2)


 暗証番号(密{石+馬}がプリントされた紙片はこんな感じです。幅はレシートぐらい。小さいので財布に入れておけますが、なくしやすいとも言えます。ご用心。

コインロッカー(1)

 新竹火車站でコインロッカーがあったので、早速使ってみました。私はその時、彰化から台北へ移動中で、洋服を詰めたリュックをどうにかしたいと思っていたので、大変助かりました。料金は20元で、使い方も簡単です。

 (1)ロッカーを選ぶ。


 (2)選んだロッカーの番号の脇にあるボタンを押す(写真の上半分に、タテ2列に並んでるのがボタンです。未使用のロッカーには緑のランプ、使用中のロッカーには赤ランプが点灯してます)。


 (3)20元を投入する。


 (4)暗証番号(密{石+馬})の書かれた紙片が出てくるので、これを取っておく。写真の中頃に電話みたいなボタンが12個並んでますが、その下にある隙間から紙片が出てきます。


 (5)ロッカーの扉を閉める。


 以上のような手順。


 ロッカーから荷物を取り出すときは


 (6)選んだロッカーの番号の脇にあるボタンを押す(あなたのロッカーは使用中になっているので、赤ランプが灯っているはず)。


 (7)暗証番号を入力する。(4)の紙片がとても重要ですね。

鄭氏家廟(3)


 お向かい様は、土地公廟でした。水田福徳宮。2009年07月22日。
 ささっと撮影して、インタビュー相手のおじいさんのところへ向かったわけですが、残念なことにほとんどインタビューはできませんでした。耳が遠いとは聞いていましたが、私の問い掛けがほとんど届かないほどで、問答がなりたちませんでした。
 午睡をなさっているところを起こしてしまったこともあり、本当に申し訳ないことをしてしまいました。通訳に入ってくださった方がおっしゃるには、2・28のことはほとんど語ろうとしないとのこと。60年以上が経過しても、語れないことってあるんですね。

鄭氏家廟(2)


 そのものずばり。「鄭氏家廟」。2009年07月22日。軒下にありますが、照り返しが強かったせいか、撮影には十分な光量でした。

鄭氏家廟(1)


 新竹へは2005年に2回訪問していますが、どちらも仕事で、しかも駆け足の訪問だったので、足を運んだという実感がありませんでした。今回の訪問は私1人で、時間にも多少の余裕があったので、初めてのような気がします。2009年07月22日。
 2・28事件で逮捕されたことのあるおじいさんがいらっしゃるということで、その方にお会いするのが目的で訪問しました。息子さんとは初対面で、ご自身が経営する靴屋で待ち合わせ。そこからバイクに乗せてもらい、おじいさんのいらっしゃるご自宅へと向かいました。
 その途中でバイクを止め、「200年前の建物だ」と説明されたのが、これ。「鄭氏家廟」です。新竹市北区区公所のwebに紹介があり、それを読むと、建立は1853年のようですが、鄭家自体は台湾へ来て200年以上経っているようですね。
 ゆっくり拝観してみたかったのですが、今回の目的はあくまでインタビュー。残念ですが、先を急ぐことにしました。
 

2009年8月7日金曜日

再び猫。


 今日は、私自身に少し余裕があるらしく、猫の写真をよく撮っています。撮りたくなるような仕草をしてくれるので、ついつい撮ってしまいます。
 外はまだ台風。風も強いし、雨ももうしばらく続くらしく、しかも、台湾もえらいことになっているようなので、猫どころではないはずなのですが。
 だけど、かわいらしいです。

台風のネコ


 台風8号は石垣島から離れ、台湾方面へ向かっています。石垣島はまだ雨雲がかかり、風も強いのですが、ネコには関係なし。いつもと同じように遊び回っています。
 テレビを載せるラックに隙間を見付け、何かを狙っています。目が開きすぎて、こわいです。

きれいな丸いモノ


 ぐるりぐるりと回転していました。彰化市内のローターリーにあるオブジェです。2009年07月21日。
 この日は昼食がゆっくりで、午後3時ごろだったでしょうか。彰化市内で一番だというチャーハンをご馳走になり、さらに、コンビニで飲み物を買ったらスピードクジをやっていて、それに当たってアイスクリームをゲット。ゲットしたのはいいのだけれど、冷凍庫に入れておくというわけにもいかず、それもそのままお腹の中へ。これが夕方近かったかな。
 で、夜は車に乗せられて、何やら、高級なお食事へ連れて行かれることになりました。高級中華を前にして、どうにもならない満腹感。
 このオブジェに出会ったのはその車上のこと。信号待ちの時に私の隣に来ました。ぐるりぐるりと回転しつづけ、私とはまったく無関係な存在。ま、いいのだけれどもね。きれいだったし。どういうわけか、高級中華もしっかりいただけました。

漢字


 「魔力」(mo2li4)。字面だけみると、なんともまがまがしいのですが、日本でも「マジカルなんとか」っていうのはよくありますよね。英語塾の名前なのでした。
 「太陽神」(tai4yang2shen2)はスポーツショップの名前。とてつもなく巨大な霊力を想像させるこの漢字はつまり「アポロ」。カタカナで書くと、よくある言葉の1つになってしまう。
 文字を読むとき、本来の意味だけでなく、見た目にも注意を払っているというか、引きずられているというか、そんなことを確認しました。なにより、この看板の写真を撮ってしまったということが、私自身、見た目に影響されている証左です。
 2009年07年21日。彰化市東民街で。

2009年8月4日火曜日

雨上がり


 朝方からお昼前まで、お湿りがありました。2009年08月4日。ここのところ、しばらくの間降っていなかったので、ありがたい雨です。もっと降ってほしいところでしたが。と、思っていたら、台風8号がこっちに向かってるみたいですね。6日から天気が崩れるらしく、悪いことに、この日は四か字のオンプール。ということは、7日のムラプールはどうなるのでしょうか。数年前、オンプールとムラプールを1日で済ませたということがありましたが、今回はどうなるのでしょうか。字会のみなさん、大変です。

夕方


 威勢のいい雲でした。2009年8月3日。心身ともに疲労気味だったせいか、つい見てしまいました。

茶菓子


 彰化に着いたのが7月21日。その日は彰化に泊まって、翌22日に台北へ移動しました。台湾滞在中、知人に連れられて、お茶屋さんへ行きました。店の名は「紫藤廬」(zi3teng2lu2)。「アジサイ庵」とでもいうのでしょうか。
 鉄観音を頼んで、お菓子もいただきました。「緑豆糕」(2009年07月23日)。写真で見ると、とても大きなケーキに見えますが、一切れの大きさは指でつまんでちょうどよいといった程度のミニサイズです。緑豆は口にするたびに、甘すぎないあっさりした味付けに感心しますが、この緑豆糕もまさにそんな感じで、美味でした。
 ちなみに、このお店は李安の『飲食男女』(邦題『恋人達の食卓』)でも使われたとか。今回は、撮影に使われた席には先客がいましたが、次回は座ってみたいものです。

2009年8月1日土曜日

開化寺


 彰化市中心部にある開化寺にも行きました。2009年7月22日。
 同じ「寺」であっても、日本に比べると、お供えがにぎやかな感じがしますね。色彩が豊かだからでしょうか。中央にはパインアップルがありますが、八重山にあるものとはなんとなく違って見えます。形がシャープに整っているイメージ。きっと品種が違うのでしょう。八重山のパインや台湾からわたってきたものですが、それぞれ異なる形で進化していったのでしょうね。