2008年10月22日水曜日

鹿谷。


 南投県鹿谷郷。1999年9月21日に起きた大地震で甚大な被害が発生した地域だと言えば、「あぁ、あなるほど」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
 太平洋戦争末期の1944年から1945年にかけて、基隆に住んでいた八重山出身者が鹿谷に疎開していたことがあります。体験者のお話によりますと、彼ら・彼女らが住んで地域が接収されることになり、鹿谷に移住することになったということです。八重山出身者だけが鹿谷に疎開したというわけではなく、その地域の人たちがまとまって鹿谷へ移ってきたと考えるとつじつまが合うかもしれませんね。
 私は2006年12月に鹿谷を訪問した際、鹿谷郷戸政事務所を訪問し、転入に関する当時の記録を閲覧させていただきました。戸政事務所は戸籍を取り扱うセクションです。
 閲覧の結果、1945年3-5月に基隆から鹿谷に移り住んだ沖縄出身者は少なくとも12家族合わせて39人だったことが分かりました。

 私が鹿谷を訪問したのはこの時と、2006年の5月と6月。お茶所で、朝がとても気持ちの良い村です。また行きたいと思っているのですが、なにせ、山の中。簡単には行けません。台北からだと、バスで3時間余りかけて南投へ行き、そこからタクシーで40分ほど。台北からの日帰りはお勧めできません。鹿谷で過ごす時間が短くなるということもありますが、山村の村特有のひんやりとした空気を味わうことをお勧めしたいからです。

 この写真は土地公廟で、別の記事で紹介した土地公の祠を大きく撮影したものです。朝の鹿谷を散歩しながら、食事のできる店を探していたところ、ワンタンメンを食べさせる良い感じの店があったので、まずはそこで朝食を済ませ、宿へ戻る途中に少し大回りしながら町を歩いていたその道筋で発見しました。
 タイルの大きさは、日本でも風呂場や流しなどで使われいるようなサイズです。だから、祠そのものがとてもこじんまりとしていることが分かりますよね。古びてはいますが、手前に使い込まれたポエがきちんと置いてあるところを見ると、それなりに信仰を集めていることが伺えます。

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