台南縣佳里鎮中山路に残る日本時代の建物です。日本時代の佳里は、台南州北門郡佳里街と呼ばれていたのですが、そのときからこの通りは目抜き通りでした。そこに残る当時の建物。現地の方のお話によると、ここには1944年9月以降、沖縄からやってきた疎開者が入居し、終戦まで暮らしていたということです。
沖縄からの疎開者のことは、台南州北門郡将軍庄(現在の台南縣北門郷)で生まれた医師で文芸家の呉新榮(1907-1967)の日記に見ることができます。
日記の1944年9月5日付に次のような記述があります。
「琉球から疎開民200余名佳里に割り当てられたので、明日から来るとのことである」
佳里では、空襲が激しくなると、自らが住む場を離れて、いなかへ疎開していく人がいたという。そうすると、佳里には空き家ができ、そこに琉球からの疎開者が入居するようになった。この写真の建物もそうした空き家だったそうです。
2009年09月05日。
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