2009年2月19日木曜日

60年以上前の名簿に出ていた人


 与那国島で、植民地台湾へ行ったことのある人を訪ね歩いていたところ、「新港で生まれた」という方にお会いすることができました。

 新港は現在の臺東縣成功鎮。港の名前は今も「新港」。この写真は漁港施設で、船をかたどったものです。錨の飾りや、突きだした船首の形が分かりますね。おもしろい造りです。

 成功を訪問したのは2006年5月26日。戦争が終わったときに新港にいた日本人の名前を戸籍簿から拾い出し、その名簿を作ったという方がいらっしゃり、その方から、名簿をコピーをいただきました。与那国訪問の後、そのコピーをめくっていきますと、その方のお名前が書かれていました。

 与那国・八重山から臺灣へ行った人がたくさんいらっしゃいますが、その足取りを確かめる作業はお1人お1人に当たり、インタビューし、残されているならば資料と突き合わせていくということの繰り返しです。その繰り返しが、与那国・八重山と臺灣の関係を積み上げていくことになるわけですね。

 当たり前でありながら、しかし、気の遠くなるような作業。自らの力量不足に嘆息することもしばしばですが、与那国で「新港で生まれた方」にお会いできて、石を1つ積み上げた気分です。

 この方に早く連絡して、「名簿に載ってますよ」って伝えなければ。

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